ザ・ローリングストーンズ
1962年にカムオンでデビューします。この曲はチャックベリーのカバーです。ロンドン
マーキュリークラブでデビューしました。当初は、ブライアンジョーンズがリーダーでした。
ドラックの使用しすぎで、1969年自宅プールで溺死します。2曲目は、レノンマッカートニー
から提供された彼氏になりたいです。当時からビートルズとローリングストーンズとは交流がありました。メンバーは、ブライアンジョーンズがリーダーでしたが、ミックジャガーとキースリチャーズのコンポーザーに入れ替わります。ビルワイマン、チャーリーワッツがオリジナルメンバーです。
1969年にブライアンジョーンズが脱退して、ミックテイラーが参加しますが1973年に脱退します。
1960年代の初期のヒット曲は、黒く塗れ、ルビーズチルドレン、19回目の神経衰弱、レッツスペンドナイトツゥゲザー,タイムイズオンマイサイトなど多数ありますが、サティスファクションが最大のヒットです。
67年にビートルズがアルバム「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」が単なるダンス音楽の枠を超えて芸術的に評価されました。ストーンズは、3か月後にサタニック~という類似したようなアルバムを発売します。また、ビートルズが愛こそはすべてのシングルを発売すると、ストーンズはこの世界に愛をを発売します。ストーンズがビートルズを真似しちぇいるような事態となりました。
1969年にホンキ―トンクウーマンのシングルが大ヒットしました。ストーンズは、独自の世界を展開する黄金期を迎えます。アルバムベガーズバンケットは、名盤です。悪魔を憐れむ歌。
ストリートファイティングマンが収録されております。スティキーフィンガースは、ジーパンのジッパー付きのカバーで、大ヒット曲のブラウンシュガーが収められています。また、60年代最後のアルバム「レットイットブリート」には、ギミーシェルターが収められております。
オルタモントでのフリーコンサートを映画化したギミーシェルターは、大ヒットしました。
黒人青年が拳銃を持っていて、ヘルスエンジェルスに殺害されるというオルタモントの悲劇
という事件が発生しました。1972年にアルバムメインストリートのならず者をリリースしました。
ロックスオフ、ダイスをころがせやハッピーなどのノリの良いナンバーがありました。1973年には、山羊の頭のスープを発表しました。悲しみのアンジーは、シングルカットされました。
このバラードは、大ヒットしました。新しいファンも増えました。1974年にイッツオンリー
ロックンロール。1978年のディスコブーム中にミスユーが大ヒットしました。
ダンサブルなナンバーで新境地を広げました。来日は、1973年にメンバーが麻薬常習者の
ため来日が中止されました。1990年2月14日に初来日しました。その後、2014年まで6回来日しました。

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