岡崎友紀がYUKI名義で、安井かずみ作詞加藤和彦作曲で大ヒットしたこの名曲をご存知でしょうか。
岡崎友紀は、1970年代の売れっ子アイドルでテレビドラマなどで活躍してました。プロマイドの売り上げも上位でした。1978年にソニーの会長盛田昭夫氏の長男と結婚しますが、1981年には離婚しました。1977年夏に大学生でした著者は学校の先輩の紹介で銀座3丁目の喫茶店でアルバイトを始めます。今は無いチェリービル1階の国際という店でした。オーナーは、ビルの所有者で大正末生まれの戌年うまれのママさんでした。
そのママが花柳大和という日本舞踊の先生でした。その方が岡崎友紀の日本舞踊の先生でした。
著者は、山野楽器に岡崎友紀がイベントで来店すると、ママさんが仕事中でも行ってこいと言われました。
タイミングが悪く岡崎友紀さんとはお目にかかれませんでした。この年はプレスリーが亡くなった年です。
エルビスプレスリーファンクラブ、大成建設、東邦生命本社の方、銀座三越、今は無い老舗キャバレーの売り上げも上位でした。1978年にソニーの会長盛田昭夫氏の長男と結婚しますが、1981年には白いばらの皆様などが常連でした。
ママさんの娘さんで私より10歳位年上の活発な方がおられましたがどうしているでしょうか。
テレビに出ているような活発な方でした。
この年、ジョントラボルタ出演のサタディナイトフィーバーが制作されました。
日本でも、一大ディスコブームの到来となりました。
さて、銀座国際に私は同級生のⅯ本くんをバイト仲間として連れてきました。M本くんは他校のK野くんをバイト仲間に連れてきました。3人で飲みに行ったりディスコも行きました。
彼らと飲む酒は美味かった。最高です。M本くんとは、最近連絡をとるようになりました。
M本君と連絡を取ると自分が20歳位に戻っているのが不思議です。サーファーファションが流行ってました。
ディスコは、新宿東亜会館にカンタベリーギリシャ・ビバ館。シンデレラ。タテハナビルのチェスターバリー、クレージーホース、3丁目方面の椿ハウス、ラジオシティ。六本木スクウェアビルのフーフー、ネペンタ。
アンルイスは、ルイードで観なくても道端出会えました。ブラザースジョンソンもチェスターに来ました。
ポルノ映画ヒット前の内田裕也がアイ高野とライブを演ってました。
最近、ワイドショーを見て知りましたが若いころを思うのは、大変健康と若返りに良いそうです。
自然淘汰で身体に良いことをやってました。
k野くんとは、そのうちに会うことになります。テーマは、k野くんと連絡が取れたことが人生のマジックです。
僕らのステージは、銀座であり日本一の場所でした。
ドゥユーリメンバーミー

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