1972年7月21日に日本テレビ金曜日20時にこの刑事ドラマは、スタートしました。
プロヂューサーの岡田晋吉は、石原裕次郎がボス(係長)の選定をしました。
若手刑事の人選が難航しました。最初にグループサウンズで人気を博した沢田研二に
渡辺プロを通じてオファーしました。沢田は、歌手活動で多忙を極めており無理でした。
そこで、渡辺プロから推薦されたのがグループサウンズで沢田研二(ジュリー)と人気
を2分しました萩原健一(ショーケン)でした。この時、萩原健一は斎藤耕一監督の
岸恵子と共演した約束が大ヒットしておりました。新人刑事に、萩原健一がこうして抜擢
されました。面白いのは、約束は、中山仁の後にきた話。太陽にほえろは、沢田研二の
後に来た話なのです。約束の中の萩原の演技が新鮮であったことは事実です。グループサウンズで沢田研二がザ・タイガース。萩原健一がザ・テンプターズに所属してました。1970年ザ・ビートルズが解散しますと日本のグループサウンズも解散が多発しました。人気が落ちたのです。タイガースとテンプターズも解散しました。その他、先輩人気グループのザ・スパイダースも解散しました。
沢田・萩原・岸部・大口・井上・大野でスーパーグループPYGが、結成されました。
音楽的には、ロック的に進んでいたのですが人気がでませんでした。その中で沢田がソロ活動。
萩原も映画出演となりました。PYGは1年位で自然消滅しました。萩原は、太陽にほえろ出演
条件でテーマ音楽に、自分と沢田が抜けたPYGの井上バンドを推薦しました。
新しいものを作ろうとした企画とも一致しました。テレビドラマ初のロック音楽がテーマ音楽なりました。萩原は、新人刑事の坊やという設定も気に入りませんでした。スーツも夏でも三つ揃いにこだわりました。マカロニというお洒落なナウな若者にこだわりました。
当時は、ナウという言葉が流行語でした。テーマバックもそうですが、走り回るのも萩原の
アイディアでした。作り物でなく本物にしたいというのが萩原のアイディアでした。
共演した竜雷太も、萩原の演じるのは演技でなくモノホンと言っております。
小野寺昭は、萩原の演技をこんな芝居あったんだと称してます。舞台は、新宿書の設定ですので新宿でロケが行われております。萩原の新鮮な演技は評判になりました。しかし、20時台のドラマで制限もあり、自分から鋼板を申し出て1年で降板します。降板も殉職というスタイルを作りました。
事件解決後に、立小便をして振り向くと通り魔にナイフで刺される。最高の視聴率を博しました。
萩原は、浜美枝・星百合子などと共演しました。共演者のモデル小泉一十三と結婚しました。
また、沢田研二を犯人役で出演させて射殺しております。撮影は、新宿ゴールデン街でした。
沢田の犯人役出演以降、有名俳優が犯人役を承諾するきっかけとなりました。第一回目に水谷豊が犯人役で共演して、その後に大ヒットテレビドラマ傷だらけの天使で共演するのも縁でした。
萩原は、太陽にほえろに出演している時に、市川崑監督の股旅と篠田正治監督の化石の森に出演して大ヒットしております。股旅は、大河ドラマ勝海舟の人切り以蔵役とTBSドラマ風の中のあいつにに繋がりました。風の中のあいつは、侠客の黒駒の勝三を演じております。映画化石の森の作者は、石原慎太郎であることも何か縁を感じます。
萩原がその後、日本テレビの傷だらけの天使で水谷豊と共演しました。監督は、深作欣二、神代辰巳、恩地日出夫など大物でした。神代辰巳監督桃井かおり共演の青春の蹉跌も大ヒットしました。
2019年に訃報がNHK朝の7時のニュースで伝えられた時は、番組1番で取り上げられました。

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